1000年後への復興への提言

 

 

東日本大震災から8年が過ぎます。

 

TVやメディアでも特集番組や記事が

 

溢れてることでしょう。

 

 

きっと「あの日」何があったか?

 

生死を分けた72時間とか

 

仮設で今も暮らす方々の声や

 

原発事故のこと。。。

 

あの日を振り返り 今を伝えることでしょう。

 

 

 

一昨年かな?

 

南三陸防災庁舎跡を訪れた時

 

 

(遺構保存と言うために震災後に塗装されてしまい

 微妙に半端に綺麗にされてしまい・・)

 

 

僕は感じた

 

この防災庁舎跡も

 

大川小学校も

 

 

 

 

遺構という名で「残す意味」は

 

過去にあった悲劇の証ではない

 

ここで何があって

 

僕らは何を学び

 

そこから何を作り上げていったか・・

 

過去を忘れないためではない

 

むしろ未来を拓くための

 

「未来を照らす灯台」なんだって

 

 

この建物たちは「過去に生きてない」

 

「未来にすでに目を向けている」って

 

 

 

 

 

 

 

床屋の僕が 毎日ブログを書いて

 

僕や僕の店を知ってもらう活動に活かしてるんだけど

 

正直こういうブログを書くことは

 

「それ」に何も寄与しない。

 

むしろアクセス数は減る・・

 

でも・・

 

僕は書かなくちゃいけないと思ってる

 

それは僕はただ「床屋」で

 

生きていくわけでなく

 

僕は僕である 在りたいから。

 

ブログを書く理由なんて

 

僕を知ってもらいたいからではない、

 

伝えたい事があるからなんだ。

 

 

 

 

「あの日」から何を学び どうしていき

 

未来を拓くかを僕らは託されているって

 

1000年後の人へのメッセージを

 

 

僕らは作らなくてはいけないと思うからなんだ

 

 

 

 

今 震災から8年が過ぎようとして

 

数多くの人々の尽力で

 

暮らしはその差はあれ整いはじめ

 

街はカタチを戻している

 

 

でも

 

だから

 

絶対に 「戻らない」ものへの想いは

 

強く濃く深くなっている

 

目には見えない心の奥で。

 

 

今までの日々は確かに

 

「戻せるものを戻す」時間だったけど

 

ここからの時間の多くは

 

「戻せないものへ向き合う」時間になると思う。

 

 

この震災のみならず平成は災害の時代

 

そう言われるように多くの「被災者」が

 

生まれてしまった平成

 

 

被災していない僕だからこういう言葉が

 

言えるという自戒を忘れずに言えば

 

逆に言えばそれだけ「学べる」時代だった

 

 

地震国であり台風も大型化

 

そこに高齢化社会の波が来て

 

何十年前に想定し整備された下水管や河川堤防

 

道路インフラ 街の区画・・

 

それらが機能不全をを起こし災害に人災を

 

加えてしまう状態になってる。

 

 

 

僕は震災後すぐに 石巻に行き

 

そのもう少し先にある女川町にも行った。

 

 

初めて見た女川の街は 津波で本当に

 

何もなくなっていた

 

建物も道路も何もかも・・

 

 

 

そこから足しげく通い

 

僕は「街の再生」をつぶさに見る貴重な体験をした

 

 

何もないところに道が作られ

 

基礎が打たれ 建物が立ち 駅が生まれ・・

 

そこで感じた。

 

 

災害は絶対的不幸でも

 

そこからどう立ち上がるかは僕らにかかってる

 

様々なしがらみや利権で動きが取れない

 

街づくりが ことこうなれば一気に変革できる

 

 

ってなった時に

 

戦後や過去の「価値観」

 

高度経済成長期 少子化問題のない頃

 

自然災害 降雨量 それらがまだ多くの

 

影響を与えない頃の「価値基準」で作られた

 

街区やインフラ

 

こう言う災害時の後にそれらを

 

「戻す」のではなく

 

新しい価値観で「創る」

 

 

それにはもしかしたらスピード感が

 

時に削がれ いわゆる「復興」は

 

遅く感じるかもしれない・・

 

 

 

でも 超高齢化社会は誰もが弱者になり

 

時に障がい者になる。

 

若々しい時代 成長期の国ではなくなるのは

 

明らかな今

 

これから僕らが生きやすく 

 

暮らしやすくするためには

 

過去の価値観・基準を捨て

 

未来のこの国100年後のこの国を

 

見据えた街づくりをしなくては

 

震災にたいしてオトシマエが付かない

 

亡くなった方々に申し訳が立たない

 

悲しみが苦しみが無駄になる

 

 

 

バラ色の復興計画なんて多くの自治体が

 

すでに破たんしかけてる

 

なぜそうなったか?

 

その一因は過去の基準でモノを観て考えてるから

 

 

 

その証拠に

 

石巻市の災害復興住宅

 

 

 

 

 

この被災者の方々のために整備された

 

住居的復興の最終地点

(仮設住宅ではなく 定住する場所)

 

この部屋の中を今年初め見させてもらったけど

 

作りが高齢者向きではなく

 

トイレや浴室への動線が余りにもお粗末。

 

見た目は立派に出来てるけど

 

間取りや動線など生活者がどう言う人で

 

今後どうなっていくか?

 

その思想が全く欠けてる作りに唖然とした。

 

 

作っただけ カタチ的に戻しただけ

 

期間内や予算などもあるのだろうけど

 

今までの基準で作っただけで 

 

ここから始まる社会的構造の変革・・

 

高齢化に対応しようと言う意識が感じられない

 

残念なつくり。。

 

 

これが復興のある正体の側面・・

 

カタチは戻っても

 

そこに息づくものがないハリボテのような街

 

勿論 まっとうな街もあるでしょう

 

でもどこか虚ろな復興の街。。

 

それは未来を観て拓いていない事からくる

 

空虚感におもえる。。

 

 

 

復興って何だろうね?

 

100年1000年後の教科書に

 

俺たちは載るんだよね?