無題

 

 

本当は11日は千葉の台風15号の

 

被災支援に行くつもりだった

 

東日本大震災で知り合ったばぁちゃんの

 

友達が千葉で被災されてるって聞いたんで。

 

 

 

でも 台風19号が関東直撃の話で

 

それはやめて自宅を自分を守ることに

 

必死になってた

 

 

 

土嚢積んで 止水版を挟んで・・

 

川の目の前に住む者として

 

常に準備していた

 

 

ましてや被災地というものをみてきた

 

僕 防災 減災を叫んできた僕

 

近所から「え?」って目をせれても

 

準備し続けた

 

 

ずぶぬれで

 

どんどん増水する川

 

怖くて怖くて

 

土嚢積んで

 

ダメだ足りないって思い

 

ゴミ袋に水入れてそれを土嚢の代わりにした

 

 

 

 

 

もう何も出来ることがないって

 

なった時

 

怖くなった

 

 

それまでは

 

「大丈夫だここまで準備してるんだ

 大丈夫だ」

 

そう思い 今まで普通の人では

 

考えられないくらいの防災意識で

 

やってきた「自信」が大丈夫って

 

思わせてくれていた

 

 

 

でも

 

川の荒れ狂う濁流

 

1回だけ同じ状態の川は

 

見た事ある

 

「もう1日降ったら岡山のように

 なるな・・」

 

そう呟いた景色だった

 

 

でもそれは 雨がやんで

 

翌日の川の景色で

 

 

今回目の前に荒れ狂う川は

 

まだ本体の台風が来る

 

9時間前の状態であって

 

この状態から本気の雨が降ったら。。

 

 

 

自信があっただけに打ち砕かれた

 

本当に川に手を合わせて祈った

 

頼むって。

 

 

 

そんな時

 

「あっ・・ブログ・・」

 

そうよぎった時無性に腹が立って

 

なんだそれ!って

 

 

 

本当にどう書いたのか記憶にないけど

 

書いてアップしてた

 

内容もあとから読んで知ったって

 

おかしな話だけど本当にそう

 

 

 

この異常事態にルーティーンが

 

頭を出すことの異様さに腹が立った

 

 

 

 

 

 

 

 

川を時計眺めながら観ると

 

増水スピードが俄然上がる

 

 

 

唯一安心だったのは

 

義母はショートステイに行ってくれてたし

 

奥さんは旅行中

 

  

何かあっても俺一人だから

 

 

 

 

もう1階はダメかもと

 

義父の位牌や写真

 

布団

 

 

持てるものはとにかく2階にあげた

 

 

 

あとはもう何もできない

 

そんな時テレビには

 

目の前の浅川の増水が危険だと

 

放送してる

 

もう浅川橋を越水は時間の問題

 

 

うちは少し上流だけど

 

目の前の川ももうバックウオーターが

 

はじまってきた

 

 

 

大丈夫ってテンションと

 

恐怖のテンション

 

 

 

 

皆さんがくれるメッセージに

 

大丈夫って返したけど

 

本当はもうヤバいって思ってた

 

奥さんからのメールにも

 

俺を信じろって返してた

 

 

 

 

お陰様で本当にあと1mないくらいで

 

増水は止まって

 

水が引き始めた

 

 

 

力が抜けたとたん

 

 

心のどこかが無気力になった

 

元気ですよ

 

お酒も飲むし

 

食欲もある

 

普通です

 

笑えるし 仕事も

 

お陰様でバリバリした

 

 

 

でも

 

ブログを書くルーティーンが

 

異様な事に思えてしかたなくて

 

 

 

今日はやっと土嚢も片付け

 

災害シフトの家から

 

普通に戻し

 

 

この1週間疲れ果てた1週間・・

 

午後は本当に何年ぶりかな

 

家で昼寝した

 

知る人が聞けば

 

僕が昼寝なんて驚愕だと思う。

 

 

 

 

 

今書きながら

 

書きだしは吐き気がした

 

多分本当に嫌なんだと思う

 

ブログに向き合うのが

 

 

もしかしたら増水する川の怖さと

 

ブログが心で紐づけされ

 

ブログ=増水の怖さのフラッシュバック

 

なのかもしれない

 

 

 

でも・・

 

こうして自己分析できるって事は

 

もう客観してるんだろう

 

また吐き気が来た

 

 

 

そうなんだよね

 

客観視なんだよ

 

やっぱり

 

東日本大震災の被災地から

 

帰ってきた日の事を

 

思い出した

 

 

涙が今出てきた

 

怖かった

 

かるいPTSDになったんだよね

 

眠れない 訳もなく泣く

 

無気力 そのくせ妙に

 

伝えなきゃって異様に高いテンション

 

 

多分 俺その異様なテンションで

 

表層は8年生きた来たんだろうな

 

でないと持たないから

 

自分を創ったんだろうな

 

 

 

深層の本当はその最初の怖さが今でも

 

僕を支配してて

 

だから異常なまでに防災や準備に

 

止まらないくらい時間もお金も

 

労力もかけてきたんだろうな

 

だから岡山いったり

 

千葉にも行こうとしたり

 

どこかおかしな自分を

 

「使命感」って鎧で覆ってたんだろうな

 

 

その蓋があいちゃったんだろうな

 

鎧が脱げちゃったんだろうな

 

 

 

 

だから 石巻の知りあいにも

 

いつもは大丈夫?って

 

すぐ連絡するのに今回出来なかった

 

聞くのが怖くて

 

 

 

 

僕が本気でブログを書いたのは

 

実はこの 4年半続く

 

おまけんブログではなく 

 

その東日本大震災から帰ってきてから

 

 

伝えること 悲しみや苦しみを

 

無駄にしないでくれっていう

 

被災者との約束からが始まりで

 

都合8年半書いてるんです

 

 

 

 

ブログ・・

 

なんだろうな

 

 

ブログって・・

 

 

 

 

でも

 

今本当になんのオチもなく

 

吐きだすように書いて

 

内容も書きながら

 

あぁ俺こう考えてるんだ

 

思ってたんだって書きながら自分を知った状態

 

本当の吐露ブログ

 

 

こんなの書く意味あんのか?

 

公にする意味は全くないけど

 

まるでいま鏡の前にいる気分です

 

自分を見てる気分

 

 

 

ブログってそういうツールだったなってのも

 

今 再確認した

 

 

時々聞かれる

 

何故ブログを書いたらお客さんが

 

増えたり 収入が上がったんですか?

 

 

その答えは僕は決まってて

 

「技術なんて上がってないし

 何かをどうにかしてもないけど

 『向き合い方』が変りました。 

 自分にも仕事にもお客さんにも

 ブログの効果は僕にはそれに今は

 尽きるんです」

 

 

 

そうか

 

ブログはそういうものなのか

 

 

リハビリであるって言うもんね

 

内観するって

 

俺人より相当内観するんだけど

 

この鎧の内観は避けてたんだな。。

 

 

 

ついにしちゃった

 

でも できて良かったかも

 

 

 

昨日のブログで

 

リンクさせたフェイスブックで

 

イイねやリアクションくださった

 

 

 

ポンちゃん

 

スゥさん

 

慎也さん

 

由香さん

 

チャミさん

 

ネモっさん

 

のぶさん

 

ナオト君

 

マサさん

 

パイセン

 

正和さん

 

ノリさん

 

ミッコさん

 

メアリー

 

ゆかさん

 

タカさん

 

シュン君

 

副社長

 

くるみさん

 

祐香さん

 

ふみさん

 

せっちゃん

 

ノリンさん

 

美穂さん

 

キムさん

 

いーさん

 

力也さん

 

草野君

 

天野さん

 

堤さん

 

森山さん

 

奈緒美さん

 

永瀬さん

 

千恵さん

 

渡辺さん

 

千舟さん

 

英美子さん

 

貴子さん

 

裕子さん

 

織田さん

 

ウッディ―

 

弘子さん

 

久保さん

 

 

 

皆さん本当にありがとうございました

 

明日からまた書いていきます