復興の光と影~今も津波は・・~



復興は

時に

誰かの犠牲の上に成る。


それも現実。。。



僕の大好きなこの店も。。。

・・・・・・・・

  

ど~も 

 

趣味はダイエット

 

特技はリバウンド

 

ダイエットに

 

希望を詰め込んだつもりでいたら

 

間違えて脂肪が詰まった

 

 

神奈川は相模原市は緑区って言う    

 

 もともと津久井郡だった片田舎で

 

 orb hair museumって理美容室やっている、

 

 お酒と音楽をこよなく愛するケンです!!

 

 

 

  

オーブに興味をお持ちただいた方

 

初めてご来店いただく方へ

 

お読みいただきたい

 

まだ見ぬ未来のお客様へ・・

 

 

 

大変ご予約がとりにくい日が

 

増えてきております

 

ご予定が分かり次第

 

お電話いただければと思います

 

よろしくお願いいたします

 

・・・・・・・・・

 

そうだ!

 

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よろしくおねがいしま~す!

 

 

 

 

月のお休み

3日 4日

11日

17日 18

25日 

 

29日(土)

臨時にお休みいただきます     

     

ご迷惑をおかけいたしますがよろしくお願いいたします

 

 オーブ ヘア ミュージアム

〒252-0102

神奈川県相模原市緑区原宿4-4-3

☎042-782-3055

 

 

オーブへの道順

↑クリック

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

一昨日・昨日と宮城県石巻市に行っていました。

 

ご存知の方も多いと思いますが僕は

 

2011年3月11日発災した

 

東日本大震災の支援活動を7年続け

 

今も折をみて石巻に通っています。

 

 

7年半ともなると

 

いろいろな知り合いも出来

 

また元来のお酒好きも相まって

 

飲食関係の知りあいが突出して多い(;^ω^)

 

 

そんな中、アレは楽天イーグルスが初優勝した

 

2013年。

 

優勝した翌日に音楽イベントを

 

僕の根城ダイニングバーGINGAでした時の

 

打ち上げで出会った

 

石巻市の「かなめ寿司」

 

 

かなめ寿司の親方

 

 

 

ベロベロに酔っぱらってて

 

楽天優勝の喜びと寿司の握り方を

 

交互にロレツ回らずに話して

 

この親父意味わかんね~(笑)って

 

そこから仲良くなって

 

たまに石巻で飲み歩く関係になって

 

あぁ・・面白いエピソードがあってね

 

 

 

僕は床屋の癖に被災地でいわゆる

 

ボランティアヘアカットってのを

 

ほとんどしてこなかった。

 

何故なら 僕らが無料でカットしてしまえば

 

伸ばす人なら(ましてや被災状況なら)

 

3か月くらいは伸ばしっぱなしになるでしょ?

 

当初は理美容室もない状況だったから

 

成立したけど 徐々に理美容師たちが

 

ハサミを櫛を手にして再建に向けて

 

立ち上がってきた兆しが見えた時

 

もしも僕がボランティアカットしちゃえば

 

立ち上がった店のお客さんを奪う。。

 

 

 

片方では支援に思えても

 

片方ではそれは

 

真逆に作用する・・

 

再建の邪魔をすることになる。

 

 

 

 

そこに気づいた時から支援をする時の

 

陰陽に気を配る癖をつけてきた。

 

 

 

 

あっだから 髪を切る以外

 

服を送ること 食べ物を送るコト

 

要請は来るけど その際その地域に

 

そう言う店があるか?商品はその町に本当に

 

ないのか?そこ、注意してね!

 

 

 

物資支援は

 

誰かの何かを奪い、邪魔する

 

 

劇薬だから!!

 

 

 

話それた(;^ω^)

 

 

でね 俺は自分のヘアカットっていう

 

コンテンツを封印して

 

音楽ライブやお祭りイベントをして来たのね

 

その姿はおとといも言われたけど

 

「プロデューサー」

 

に見えたらしいの

 

 

 

で かなめの親方はさ

 

俺を「音楽プロデューサー」と勘違いしてて(笑)

 

ある日

 

「おめ~次いつ来ンだ?会わせてぇ人いんだけどよ」

 

そう連絡があり 日時合わせて石巻に行くと

 

割烹屋に連れてかれ

 

「一席もうけたからな」って

 

で ふすま開けたら

 

フグ鍋が2つあって

 

海の幸がど~ん!

 

で その席の奥には

 

なにやら白髪の老人が2人・・

 

 

席について 

 

その老人・・顔にマジに

 

それカミソリとかで切って出来た傷じゃなく

 

包丁でもなく 

 

あの・・・任侠団体様御用達の

 

刃物とかで出来た古傷ですよね?💦

 

って方が

 

「ずっと支援してくれてるそうで ありがとうな

 まぁ今日は飲んで食べてきなさい」

 

ビールついでいただいて・・

 

 

フグ鍋なんて初めてだけど

 

まぁ~イマイチ味わかんねぇ~状態

 

 

で そのご老人が

 

「ウチの孫が東京で歌手やりて~って言ってんだけど

 どうかね?」

 

 

「あ~歌手ですか。イイですよね音楽は。

 なかなか厳しい世界だと思いますが」

 

 

「そうだよな。厳しいよな

 で どうかね?」

 

 

「どうかね?って。。ん~聴いてみないと・・」

 

 

「なかなかうめ~んだよコレが。

 どうかね?」

 

 

「・・どうかねと言われても・・」

 

 

「アンタのとこでどうかね?」

 

 

「?????僕のとこで??」

 

 

「うん」

 

 

「えっと・・(´・ω`・)エッ?」

 

 

隣のかなめの親方に

 

(親方・・俺・・・床屋だよ)

 

(!!!!!!!えっ!!!!!

 だってオメェ音楽やってン・・)

 

(それは友達に音楽関係が多いだけ

 俺はただの床屋!)

 

(・・・・・・・・・そうなの?)

 

(・・・・・・・・・《頷く俺》)

 

 

 

 

無言

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時 たまたま携帯が鳴って

 

僕は中座。

 

席を離れ

 

 

外から親方に電話。

 

「ど~すんの?俺無理だよ!」

 

「分かった!とりあえずお前〇〇の店行ってろ

 ココ収めて向かうから」

 

「うん分かった」

 

 

 

(≧▽≦)

 

 

 

アホなエピソードでしょ?

 

 

でも人にはそう見えてたんだな~

 

確かに素人が野外フェスまでやんないよね💦

 

 

 

 

そんな楽しい、かなめの親方

 

半年ぶりにあうと

 

もともとバリバリ石巻弁だから

 

何言ってんか半分は勘で会話してたけど(笑)

 

今日は何かおかしい・・

 

昨日休みで 酒がまだ残ってるのか

 

ロレツがまわってない。。

 

 

 

「いや~俺よぅ 今年2月に倒れてさ

 で 3か月前にも倒れて脳梗塞さ」

 

「えっだから?」

 

「うん 言葉がなぁ~でも・・」

 

 

 

 

 

 

差し出された寿司はいつに変わらぬ美しさ

 

「体は大丈夫でよ 麻痺残らなかったから良かったけど。

 震災のあの日よ ここもやられたべ?

 水浸かって 俺もこん中で水にまかれてよ

 寒くてな~あぁ死んじゃうんだな~って思ったさ

 この店から上にあがる階段ねっから 天井の方に

 押上られてよ

(かなめ寿司は外に階段があり家の玄関はそこ)

 寒かった~。でもまぁ何とか戻してよココまで」

 

 

 

(かなめの親方が{あの日}の話をしてくれたのは

 初めて・・)

 

 

「。。。。。そうか~。。。

 あっでも 道路計画の話は?」

 

「実はもう決まってよ 今年12月でここも退去だ。

 堤防道路になっからよ」

 

「えっ!?12月って今年の!?」

 

「うん・・」

 

「じゃぁ前から言ってたけど もう・・」

 

「引退だぁ  

 店じまい。体もこうだし無理できねっし」

 

「そうなんだ・・・言ってたもんね

 跡取りいないからやめるって」

 

「んだ・・」

 

 

 

 

 

復興は明るい光を放つけど

 

必ず光には影がある

 

支援が逆の作用をもたらすように

 

必ず作用反作用が起きる。

 

 

 

GINGAも元いた場所から

 

立ち退きにあった。

 

 

そしてかなめ寿司も。。

 

 

 

復興ってなんだろうね?

 

この何百回も繰り返して自問自答してきた問。

 

誰かの安息 誰かの希望

 

誰かの安全 誰かの光・・・

 

 

 

そこにある陰を慈しみたいと思った。

 

そこにある陰こそ讃えたいと思った。

 

アホは「カネ貰って立ち退きだからイイじゃん」

 

そう言う。

 

でも そうじゃない そうじゃねぇ

 

そこにある想いを見て受け止めて

 

思い寄せなければ

 

本当の復興の何たるかなんてわからない。

 

 

 

津波は今も見えない津波になって

 

この街の人の心の中にあって

 

大切な何かを破壊し続けてる。

 

そこを忘れてはいけない。。

 

 

 

 

 

「だからよぅ 12月だけど・・」

 

「うん 来るよ!最後にもう一回食べに」

 

「そん時連絡してから来い。前ほど飲めないけど

 呑みいこう」

 

 

「うん」

 

 

 

 

ボランティアをまた一つ

 

越えれた気がする。

 

この街の人のおかげで。