cocoroは燃え尽きてない

 

 

 大川小の裁判も高裁判決が出て

 

お話伺い 何度かお会いしたご遺族の方の

 

お顔をTVニュースで観て

 

想い巡らせる僕です。

 

 

僕は2011年4月から

 

去年4月まで

 

東日本大震災ボランティア活動

 

cocoroと言うグループを作りしてきました

 

 

大川小学校にも何度足を運んだか・・

 

 

ご遺族にも会い 裁判も傍聴しました

 

 

 

 

僕にはそんなもう一つの面があるんです。

 

 

 

 

 

 

 

行政は最高裁に持ち込む構えとか聞こえるけど

 

あの地裁の傍聴に行った時

 

何故かその後の記者会見の記者席にいた俺が

 

 

「要するに 行政側は何を論拠・論点に

 争い続けようとしてるんですか?」

 

その問いに弁護団長が

 

「そこなんです。あの災害において

 大川小だけでなく大川地区全体で

 あれだけの被害・死者が出ているんだから

 学校だけ行政の責任を大きくするのは違うって

 いう論拠に立ってるんです。」

 

 

 

 

これ 今も宮城県・石巻市側が

 

言ってるってのがキツイよね・・

 

 

要はみんなたくさん死んだんだから

 

子どもも仕方ないじゃん!って言ってるってコト。

 

 

 

学校と言う児童の安全を守るべき場所

 

責任を担う先生方

(先生も11人中10人お亡くなりになってます)

 

あの日あの場にいた誰もが戸惑いや

 

懊悩の時間を過ごしたと信じてる。

 

 

誰もがその「責任」から逃れようとはしていなかった

 

そう信じてる 

 

「あの日休みを取っていて

 あの日現場にいなかった{あの先生}以外は」ね

 

 

子どもたちは少なくとも

 

逃げなかったんじゃない

 

逃げさせてもらえなかった

 

意志ある子は山に向かった

 

でも戻された。

 

 

 

 

生き残った子は語った

 

思い出したくもない恐怖を

 

でも握りつぶされ シュレッダーにかけられた

 

 

唯一生き残った大人A教諭は

 

今も隔離され 何も話すことはまかりならん

 

状態に置かれて真実は葬られてる・・

 

 

 

 

 

僕がレポートとしてまとめた

 

大川小学校事故の記事です。

 

ご遺族会のHPにも載せていただいてるので

 

間違いのない内容だと思っております。

 

 

長いシリーズですがお読みいただければ・・・クリック

 

 

 

 

 

7月16日海の日

 

 

海が襲い 人を街を夢も希望も

 

呑みこんだ石巻~女川~大川小を

 

巡る旅

 

 

企画しています。

 

 

とは言え

 

もう悲壮感な旅ではないです

 

いい意味で楽しい東北・石巻、女川の

 

良い景色や オイシイ海鮮 お酒

 

そして人に触れてもらう旅です。

 

 

 

 

 

 

僕はまだ燃え尽きてはいないよ。

 

 

 

 

 

この 今取り組んでいる

 

コテパーマ勉強会も

 

行き着く着地点は

 

この

 

 

 

 

石巻で開催を企画してる

 

音楽フェス開催資金を稼ぐためです。

 

 

仕事 学び 震災・・

 

 

全部絡めて僕は生きていきます。