2011・3・11を越えて生きるもの達へ

 

 

僕が 東日本大震災のボランティアのような事を

 

し続けてきた事は ブログにも度々書くから

 

知ってる方も多いけど

 

毎年この時期には

 

2011年4月

 

震災から1か月目に初めて行った

 

宮城県石巻市で出逢った方々の

 

あの日の言葉をアップさせていただいています。

 

 

風化と言う声さえ聞こえなくなる今

 

それが僕にはいけない事とは思わないんです。

 

いろいろな事が起き いつまでもみんながみんな

 

あの日のままでいれるはずはないからね

 

 

だけど俺は あの日をかりそめにも知って

 

見て 聞いた人間として

 

死ぬまで東日本大震災と関わって生きていくんだ

 

 

被災者でもない 何もうしなっていない

 

寒さも悲しさも知らない俺だけど

 

俺はあの日を常に俺の心のセンターにおいて

 

生きていきます。

 

 

 

 

どうか あの日

 

僕が聞いた 本当の声を

 

お読みいただければ幸いです。

 

 

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お会いした 50人くらいの被災者の方 

 

全てが 本当に全ての方が言っていた言葉が



「伝えてくれ!

 

 本当の被災地をみんなに伝えて欲しい。

 

 その目で見て 焼き付けて伝えて欲しい」

 

 

そういわれて帰ってきました。

 



僕の感想は後にして その思いを先ずは伝えます。

 

 

 

 

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2011年4月の 僕のmixiの日記です。

 

この上記の書き出しから 

 

僕の東日本大震災活動記は始まりました。

 

 

 

僕が 今も通い続ける理由・・

 

それは あの日

 

2011年4月18・19日に

 

お会いした 髪を切った 

 

石巻の人たちとの

 

この

 

 

伝えるという

  

約束

  

これが僕の中で 今も燃えているから。

 

  

毎年3月11日を前は、淡々としてるんだけど、

 

「今」僕の周りには このブログやフェイスブックで

 

きっとこの

 

 

「伝える」を

 

 

「受け取ってくれる」

 

 

そう思える友人があの頃よりも増えました。

 

 

 

伝えて欲しいそう言われ

 

伝える為には その「約束」を果たす為には

 

誰かがいてくれなければなりません。

 

その「誰か」が今また増えてきてくれたという事は

 

やはり伝えなくちゃいけないと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

この7年という時間の中

 

風化が叫ばれる中

 

今、何が大切なのか?

 

震災という

 

起きたことへのリアクションが支援であったなら

 

今これからは

 

未来へのアクションが大切なんじゃないか?

 

それは 

 

 

 

知ろうとすること 

 

考える事 

 

伝える事・・

 

 

これこそ「未来への支援」なのです。

 

 

 

必ず起きる 自然災害・・

 

その「未来への支援」

 

それがあれば減災になり

 

誰かが誰かを助け 支える何かに繋がり

 

もしかしたら

 

 

 

命が救えるかもしれません。

 

 

 

その為に

 

「知ることをあきらめない」なのです。

 

 

あの日 現地で聞いた生の言葉たちです。

 

 

どうか お読みいただき

 

知り、考え 誰かに伝えてくだされば

 

あの日の僕の約束は また一つ果たせた事になります。

 

 

 

どうか ご協力ください。

 

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「俺は働くよ!

こうしていろんな人が俺たちの町のために来てくれる恩返しに

 俺は働いて税金納めて それが復興だし 恩返しだよ」
                     


                         
「俺たちは1000年に1度の災害を経験した 

ってことは俺たちは教科書に載るんだ 

俺たちがどうして被災して 何が問題で 

どう復活したかそれが教科書に載るんだから 

1000年に一度の検証が俺たちの役目だよ」



                        
「今日 俺のおかあちゃん焼いてきたんだ 今日が通夜なのかな」 

           

「食ってくれよ 遠慮すんなよ それしか今恩返しできねぇんだ」


           
「生きているだけで良い・・そう言えないんだよね」

 



「石原軍団なんてあんなの支援でもなんでもない 

整理券なくちゃ入れないなんて 本当に必要な人に何にもしてないのに」

 


「ホームセンターで被災してね 屋上の駐車場に逃げて 

もう駄目だって思ったけど 家族が一緒だからもういいかって思った」

 



「食料も何もなくて 流れてきた魚を食べてた イカがたくさん流れてきて 

でも重油や何かでベトベトで 水もなくて 

流れてきたお酒で洗ってそれを食べたの。

臭くてね。でもそれしかなかったの 

子供は食べるんだけど吐いちゃって・・

あっでもアナゴは美味しかった(笑)」

 



「ヘリコプターが飛んできた時は あぁ助かったと思っても 

何もしてくれなくて 救援も来ない。

何度も何度もヘリは来るんだけど 何もしない。
そのうちヘリコプター見ると腹が立った。

やっと物資を投下したのは6日後だった・・」

 



「避難所に何とか辿り着いたら 定員だからもう駄目って。

せめて赤ん坊だけで言っても駄目だった ミルクさえくれなかった」

 



「今は知り合いのところに世話になってるの 

だってね孫が「普通のおうちに行きたい」って言うの・・

ずっと家族みんなで車の中で暮らしていたから」



「助けられて 最初に孫がジュースをコップ一杯注がれてね 

「ねぇ全部飲んで良いの?」って。 

屋根の上で救助を待っていた何日かは 流れてきたものを一口ずつ分け合って

みんなで飲んでたから」



「行政は何もしない!」



「避難所に援助すれば大丈夫って思ってる人が多い。

テレビとかが本当のことを伝えていないから仕方がない。

こうなって初めて知ったの 

テレビや行政は簡単でわかりやすいことしか 

やらないし伝えない」



「必ず伝えて欲しい」

 


「地獄でした  本当に地獄でした」



「幼稚園バスがね 横倒しになって 

 そこに火災が来て みんな死んじゃった」

 


「今したいのは 外食したいかな(笑)

 焼き肉食べたい びっくりドンキーでもいい」

 

 


「不思議なの 食糧がないときね お腹空かないの

 寒くもないの ただ子供たちにって

でね 救助されても 満腹感がないの やっと最近普通になれたかな」

 



「頑張ってって言われて

 やっと頑張ろうって受け入れられてきた」



「やるしかないよ」

 



「一日ご飯は おにぎり1つとゆで卵1つだけ

 それで一日10時間 看護師も先生も働いてた」



「チリ地震の津波は 大騒ぎしたのに

 50センチだったから 今回も甘く見てたんだよね」



「車にこだわって逃げた人は みんな死んじゃった」



「連絡がとれなくて だんだん死者の数が増えて

 一日たち二日たち

あぁ駄目だったんだって思ってたら

泥だらけになって帰ってきたの」


 
 
「はぁ髪を切ったらスッキリした」



「今日から再スタートなの だから髪をきるの」

  

 

 

「電線にですね たくさん本当にたくさん 

 遺体が引っかかってるんですよ。
 でも勝手にそれを下ろしてあげることが出来ない。

 警察がやらないといけないんです。

 だから 避難所や給水所に行き時に必ず見るんです。

 みんな言うんです 

 今日は何人みたって」

 



「ゴメン・・けんさん・・戻って良いですか?

 これ以上いけない・・違うんです・・

こんなんじゃないんです・・この街は・・

 違うんです・・ネオンがあってね・・

こんな暗くないんです・・昼間は平気なのに・・

 夜は・・・進めないです・・

 見て欲しいって誘っといてごめんなさい・・

 戻らせてください・・・
・・・・馬鹿な話してて良いですか?・・・

ここにラーメン屋あったんですけど 

味の素の味がメチャクチャすんすけど 

なんか美味いんですよ・・

ここの二階に貸しスタジオがあって 

ここど練習してたんですよ・・

僕はベンチャーズがきっかけでドラム始めて 

本来はロックなんス 

東京さ行ってJAZZにかぶれてみようかって(笑)

でもロックっす」

 



「本当は 添加物とかレトルトとか

 与えないで子育てしたいって思ってたけど 

 打ち砕かれました そんな事いってられないから」

 


「本当に自衛隊員には感謝してます 

 本当に頑張ってくれてる」

 


「見つかった遺体は下半身だけ。

 ポケットに免許証が入っててね。
下半身だけ?そりゃそうよ 

ビルだって壊す津波よ 人間なんて」

 


「石原軍団にはなんも思わないけど 

 長渕が基地で歌ってくれたのには感動した」

 



「お医者さんは医学的に 

 助けられる 助けられないって線引きできるけど 

 看護士はそれがないから 

 助けられないけど何か出来たんじゃないかって・・

 思っちゃいます」

 

 


「私 震災のホンノちょっと前に

 救急救命に配属になって いきなりですからね・・」 

 



「避難所で働いてくれてる中学生は 

 親兄弟なくした子も多いの。
 昼間は笑ってるけど 

 夜布団の中で声を殺して泣いてるんだって・・」

 


「遺族に説明するのが私たち看護士なんです。

 先生の説明は専門的だし 

 先生様に意見できない的な空気あるじゃないですか?

 だからそこで納得されたようでも

 遺族は私達に再度聞きに来るんです・・・」

 


「楽しかった~被災してるの一瞬忘れちゃってた」

 


「木を植えたら2年で枯れるあそこに仮設住宅作るんだって」

 「えぇ~でも石巻広い土地ないからね」

 


「この地区は天国 ガスも水道も電気もある」

  


「僕らは年寄りから チリ地震も 

 三陸地震も聞いて育ったけど いつか風化していた 

僕らはこれをまた伝えていかないと 風化させないように」

 



「一気にたくさんの人とお別れしましたが 

 こうしてまた新たな出会いがあり

生き残った事を毎日確認し感謝しています。」

 



「これからです!!!」

 


「来てくれるだけでいいんです。

 聞いてくれるだけでいいんです。

 見たいだけで来ていいんです。

 観光でいいんです。見ればわかってくれると思います 

伝えてくれると思います」

 

 

 

「忘れたいけど、覚えておく」



「必ず 目に焼き付けてください 

 写真も撮ってください 

 一番の被害を見て欲しい そして必ず伝えて欲しい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
最後の言葉が 全て行き会う方に言われた言葉。


オーバーでなく本当に本当に本当に言われ続けて言葉。



これが僕が今も震災に関わり続ける理由

 

「約束」です。

 



みんなと 話してくれた皆さんと約束した


「必ず責任を持って 伝えます」

 

これを果たす為に

 

僕はこれからも行き続けて

 

見て

 

感じて

 

考えて

 

未来へ伝える為に

 

何が出来るか足掻いていきます。

 

 

 

 最後に是非この映像をご覧ください

 

友人のスミアヤコとのやり取りの中

 

彼女がくれた詩に 

 

友人のピアニスト・川久保典彦の演奏で

 

作らせていただいた動画です。

 

 

これは「人間賛歌」です。

 

 

*震災時の映像があります視聴には十分ご配慮お願いいたします。