ある床屋さんへの鎮魂歌~レクイエム~




僕は 2011年3月11日発災した


東日本大震災に関わりつづけています。


今もです。



それについての


発信は理美容師ブログとしては


必要ないのは重々承知の上で


随時書かせていただいています。


でも 今回のは


震災と僕らの同胞  先輩方が直面してる


「今の」東日本大震災です。


そう  今の  です



以下  地元紙の引用からの記事


是非お読みください。




女川・きぼうのかね商店街 仮設店舗5年半 きょう営業終了

30日に現地での営業を終了するきぼうのかね商店街
商店街の閉鎖を機に店をたたむ「みなと理容所」の深掘さん

 東日本大震災で被災した宮城県女川町で、浦宿浜にある仮設商店街「きぼうのかね商店街」が30日に現地での営業を終える。10月から町内の荒立・大道地区に移転し、11事業者が順次、営業を再開する。同商店街は2012年4月にオープン。52事業者50店舗が入居し、多くの来場者でにぎわった。閉鎖を機に閉店する人、新天地で自立再建する店主もいて、それぞれが商店街との別れを惜しんでいる。

 同商店街にはこれまで、計65事業者が出店。このうち、26事業者が自立再建し、6事業者がJR女川駅前のテナント型商店街「シーパルピア女川」に店を構えた。廃業は予定を含め14事業者に上る。
 「みなと理容所」の深掘浩一さん(74)は廃業を選択した一人。震災前は町の中心部で、食事をする暇もないほど繁盛したという。
 津波で店舗兼自宅が被災し、仮設商店街で営業を続けた。「店では多くの人と出会い、生活に張り合いが出た」と振り返る。
 震災後は町の人口流出が響き、客は全盛期の5分の1に減少。「再出発するには設備投資が必要だし、跡継ぎもいない」。町民から50年以上親しまれた店を閉める決心をした。
 閉店を惜しむ常連客らが連日顔を出す。「もっと早く住宅整備がされたら、人口減を防げたのではないか」。今も一抹の悔しさを拭いきれずにいる。
 




震災関連のニュースで


久しぶりに涙が止まらなかった。



俺ね  床屋  美容室の事


東日本大震災で本当に誇りに思えたの



どんな小さな仮設商店街に行っても


津波でやられて掘っ建て小屋みたいな店でも


床屋ってあるんだよ


美容室ってあったんだよ


人の暮らしにそばに


どんなに苦しい状況の街にも


必ず 俺たちの仲間がいるんだ。


それを見るたび


胸が熱くなって 声に出さずとも


頑張ってくれ  

踏ん張ってくれ

負けないでくれ


俺たちの この仕事は


生きることに何の役にも立ちはしない

でも  人が人であるために絶対に必要な

誇り高い仕事なんだ

だから 人は俺みたいのが


路上で 軒先で 避難所で髪切るよって言えば


みんな来てくれて そこに色んな想いを重ねてくれていた




女川の きぼうのかね商店街は もう何十回行ったかわからない



残念ながら みなと理容室さんは休みが一緒だから


ついにお会いすることは叶わなかったけど


必ず店先に立って お辞儀していた店。



そこが 廃業されることになった。



涙が止まらない


悔しくて 悔しくて


ふざけんじゃねよ地震





復興は進んでいるんですか?


その問いにどう答えるかは俺にはわかんないけど


今も 東日本大震災の津波は


目に見えずとも たくさんのものを引き裂いて


飲み込んで ぶっ壊してる


それが現実です。



何ができるわけじゃないけど


でも  だから 俺は今も行くんです